江戸時代から続く獅子舞を後世へ

公開日 2026年10月29日

更新日 2026年10月30日

佐々木利文さん

地域の人から「あんにゃ(兄貴)」と慕われる佐々木さんは、佐那河内村の宮前地区に伝わる伝統芸能「獅子舞」の保存会会長を務めている。誰に対しても寛容で、周囲から頼りにされる温厚な人柄だが、獅子舞の伝承となれば話は別。江戸時代から続く伝統を未来へつなぐため、強い信念を持って活動している。そんな佐々木さんの獅子舞にかける思いを聞いた。

みんなの「あんにゃ」

佐那河内中学校を卒業後、左官職人に憧れて就職。30歳ごろからは運送会社に勤め、62歳まで働いた。その後は農業に専念するつもりだったが『佐那河内運送』から声がかかり2~3年勤務。さらには土建業など数カ所から手伝ってほしいと声がかかるほど、周囲から頼りにされてきた。「せなしゃあないでえな」と笑う佐々木さん。頼まれれば引き受ける気さくな人柄が、あちこちから声がかかる理由なのだろう。
「あんにゃ」という呼び名は、中学時代から。地域の知り合いにはもちろん、村外の職場の先輩や社長にも広まり、今では誰もが親しみを込めてそう呼ぶようになった。滅多に怒ることはなく、一緒に活動する仲間を受け入れ、穏やかに人と向き合う。その姿勢が、地域で長く慕われてきた理由の一つだ。

温厚なあんにゃが、絶対に譲れないこと

佐々木さんが若い頃から携わってきたのが、獅子舞保存会の活動。宮前地区に伝わる獅子舞は、江戸時代末期の嘉永年間ごろに佐那河内村上地区の中畑や蝮塚、奥野々で火災や原因不明の伝染病が相次いだことを受け、厄除けを願って氏神に奉納したのが始まりと伝えられている。
かつては、発祥の地とされる中畑・奥野々地区の子どもたちが中心となって獅子舞を受け継いできた。子どもの数が多かったため、佐々木さんは道具の出し入れやお菓子配りなどを手伝っていたが、踊りを教わる機会はなかったという。運営資金は各戸から割前を集めて賄い、十分な練習時間を確保できる環境が整っていた。
しかし、少子化によって地元の子どもたちだけでは踊り手を確保することが難しくなり、2012年からは『朝宮神社』の氏子全体に参加の門戸を広げ、担い手を募るようになった。一方で、各戸からの集金も厳しくなり、運営資金の確保が課題に。秋祭りの1カ月半前から行われる週二回の練習も子どもたちは塾や習い事、部活動などで忙しく、練習できる日は限られているのも課題だと佐々木さんは話す。

「自分の代で途絶えさせてなるものか」

令和元年より獅子舞保存会の会長に就任した佐々木さん。人手も時間も限られるなか、何よりも大切にしているのは、江戸時代から続く獅子舞を途絶えさせないことだ。
その思いが強く表れたのが、新型コロナウイルスの感染拡大によって、獅子舞を奉納する『朝宮神社』の秋祭りが中止になったとき。「獅子舞は、もともと伝染病を鎮めるために始まった奉納。コロナも落ち着いたころだったし子どもが難しくても、できるところまで大人だけでも奉納できたら」。そう主張した佐々木さんは、神社の宮総代や地域の人たちに働きかけ、奉納に向けて再び動き出すきっかけをつくったという。
他にも、伝統を次の世代へつなぐため、子どもたちが獅子舞に触れる機会づくりにも力を注ぐ。地域の小学校3年生を対象に出前授業を行い、実際に獅子の中に入ったり、太鼓をたたいたりする体験の場を設けている。また、秋祭りで撮影した集合写真を使ったオリジナルカレンダーも約3年間制作。祝儀を寄せてくれた家や役場、教育委員会、ふれあい祭りなどで掲示・配布し、獅子舞の認知度向上と参加者の確保につなげようとしてきた。

 

伝承を映像に託す

取材中、佐々木さんが何度も口にしたのは、「まだ復活できていない踊りを復活させたい」「舞をビデオテープに残したい」という二つの思いだった。
獅子舞には楽譜がなく、踊りや太鼓のリズムは、耳と体の感覚を頼りに受け継がれてきた。だからこそ、教えられる人がいなくなれば、技や所作そのものが失われてしまう。佐々木さんは会長に就任する前から映像で記録する必要性を訴え続け、現在は村の補助を得て撮影を実現させた。しかし、今もなお記録できていない演目や復活できていない舞が残されている。「切羽詰まってやれんとなって、もし保存会が解散することになっても、ビデオさえあればこれを見て復活できる」。
現在、人手不足によって復活が難しくなっているのが「乱」と呼ばれる獅子の舞や、男の子が担う「三番叟(さんばそう)」などの演目だ。なかでも「乱」はブルーシートの上をすり足で這い、雄と雌で面を取り合い最後には転げ回るという、ユーモラスで激しい舞だそうだが長年実演できていない。佐々木さんはこれからも、獅子舞の記憶を未来へつなぐため、今できることに力を注いでいる。