佐那河内村について

見渡せば山々に寄り添った田畑や人の営み
それらを照らす陽は眩しく、月は優しく、
傍らには川が流れ、山が鎮座する

ここ佐那河内村は、まもなく千年を迎える

一千年前から
人々は種を蒔き、田畑を耕し、
時代とともに作物や栽培方法を変えてきた

一千年前から
人々は隣人と語らい、家族と笑い、
時には不平不満を言いながらも
自ら暮らしを作り、「今」を生きている

川が流れるように、変化するべきは変化し、
山が鎮座するように、人々の本質は変わらない

大地の恵みに感謝を忘れず
余分があれば分かち合う
助けが必要であれば手を差し伸べ
恩は巡り巡って返される

ここに全てがあり、ここで生き続ける自信と覚悟
それぞれの顔に刻まれた平穏と満足
とある村人は言った
「自然に生かされて、地域に育てられとるんよ」

一千年の時をかけて「今」を積み重ねてきた
つづくむら 佐那河内村

佐那河内村は誕生から998

  • 総面積 42.28km²
  • 総人口 2,376人
  • 男 1,155人
  • 女 1,221人
  • 世帯数 946世帯
  • シャクナゲ

    村の花 シャクナゲ

  • ウグイス

    村の鳥 ウグイス

  • スダチの木

    村の木 スダチ

歴史

往古、徳島県は粟国と長国からなり、佐那河内村は長国に属していました。今から1800年前、成務天皇の御代に観間都比古色止命の孫、韓背足尼がその長国造となり、当時南北の連絡要地であった本村に居を定め、祖を祀り、水田を拓き、農業を勧めたといわれています。大化の改新(645年)のとき、阿波の国は7つの郡がありましたが、本村は、その中の名方郡に属していました。その後寛平8年(896年)、名方郡が廃止されて名東郡と以西郡に分かれ、以西郡に属していた1021年~1024年に現在の佐那河内村と改称されました。寛文4年(1664年)、再度名東郡へと合併されます。明治22年(1889年)名東郡から徳島市が分離して独立、このとき名東郡は9か町村でした。その後合併、町制などがありますが、昭和12年(1937年)には加茂町、加茂名町、八万村が、昭和42年(1967年)には国府町(南井上村、北井上村)が徳島市に合併されましたので、以後、名東郡は佐那河内村のみの一郡一村となりました。

常会

いわゆる自治会といわれるものですが、佐那河内には、全ての集落に常会があり、その数は47です。古くは、藩政時代の五人組の流れを汲んでいるといわれ、以前は納税や自治の改善の上で大きな役割を担っていました。現在では、毎月1回定例会が開かれ、行政や農協、地域行事などの連絡事項を周知し地域の合意形成をすると共に、同じ地域に住む人同士の大事なコミュニケーションの場になっています。