公開日 2026年10月09日
更新日 2026年10月09日
吉本隆さん


佐那河内村に『吉本日本刀鍛錬道場』を開いた吉本隆さん。平安時代中期頃に誕生し、長い年月を経た現在、美術品としても受け継がれている日本刀に魅せられた幼少期を経て「自分の名前を残せるものを作りたい」と刀鍛冶を志すようになる。20歳で奈良県の『月山日本刀鍛錬道場』に入門し、10年間修業を積み、令和8(2026)年、佐那河内村に自身の道場を構えた。刀との出会いから、現在に至るまでの歩みを聞いた。
刀への興味と“作り手”への決意
平成3(1991)年、徳島市に生まれた吉本さんが刀に興味を持ったのは、小学校高学年の頃。テレビドラマ『暴れん坊将軍』で見た刀に「かっこいい」と惹かれたことが、刀に関する一番初めの記憶だという。
もともと絵画や美術品にも興味があり『徳島県立近代美術館』や『大塚国際美術館』、『県立図書館』などに足しげく通っていた吉本さん。あるとき『文化の森(徳島県立博物館)』で、第二次世界大戦後、GHQ(連合国軍総司令部)によって回収された日本刀のうち、その後所有者らに返還された刀・赤羽刀(あかばねとう)の展覧会が開かれることを知り、すぐに足を運んだ。
「会場で解説員さんから、『壺や絵画、掛け軸などは湿気のない場所に保管すれば残るけど、日本刀は誰かが定期的に手入れし続けないと後世に残らない美術品である』という話を聞き、強い衝撃を受けました。こういうものに自分の名前を残して、長く大事にされるようなものを作りたいという思いは、このときに生まれました」と話す。
好きなことに挑戦したいという覚悟と根性


高校卒業後は、周囲の勧めもあり自衛隊へ入隊するものの、自衛隊では決められたサイクルで働くことが多いなか「一生このような働き方を続けるより、若いうちに本当に好きなことに挑戦したい」と次第に思うようになったという。
2年間の自衛隊勤務のかたわら、休日には岡山県の『備前長船刀剣博物館』や愛媛県の刀鍛冶を訪ね「弟子入りするにはどうすればいいか」と相談して回った。そこで受けたのが、「無鑑査刀匠※の先生を訪ねてみなさい」という助言だった。
その時に知ったのが、奈良県にある『月山日本刀鍛錬道場』。さっそくホームページに記載されていた電話番号へ連絡したものの、なぜか電話がつながらない。そこで吉本さんは、バイクを走らせ、アポイントなしで道場を訪ねた。
当時、師匠は「弟子は3人まで」と決めており、新たな弟子を断っていたという。ところが吉本さんが訪ねたのは、ちょうど一番上の兄弟子が独立した直後。師匠が「そろそろ新しい弟子を取ろうか」と考えていた時期だった。師匠からも「これほどのタイミングは何かの縁だ」と言われ、20歳で念願だった刀鍛冶の道へ進むことが決まった。
※無鑑査刀匠…日本美術刀剣保存協会が認める現代刀匠の最高峰。長年の優れた実績により、出品作が無審査で展示される特別資格。
刀漬けだった10年間の修業

入門して最初に任されたのは清掃や道具の手入れ。そして、燃料となる松炭を2~3cm角にひたすら割る“炭割り”や、師匠や兄弟子の仕事に付いて仕事や作業の補助を行い仕事を覚えることだった。炭割りでは、丸太に向かって毎日30回×5セット。手元が狂えば、飛び散った鉄で大けがをすることもあるため、目をつぶっても同じ一点を叩けるようになるまで大槌を振り続けた。
“炭割り3年、向こう槌5年”と言われる世界。師匠の呼吸に合わせて大槌を打ち込む刀鍛冶から生まれた言葉でもある「相槌(あいづち)」の技術を、少しずつ体に染み込ませていった。
住み込みだったため家賃はかからず、昼食にはおかずが支給され、米もいつでも炊ける環境に加え、師匠から支給されるお小遣いで、朝晩の食費を切り詰めながら生活。師匠の家に保管されていた過去数十年分の刀剣専門誌を片っ端から読み漁るなど、刀漬けの日々を送った。
「とても恵まれた環境で過ごさせていただきました。今思い返しても、辞めたい、辛いといった思い出はひとつもないです。前職の経験も、その後の修業生活に耐え抜くことに生きていたと思います」。
師匠の技を目標に
修業時代、吉本さんの刀づくりへの向き合い方を大きく変える出来事があった。あるとき、奈良県指定無形文化財保持者で、全日本刀匠会顧問でもある師匠が『高松宮記念賞』を受賞した相州伝の作品を見る機会があった。当初、吉本さんが目指していたのは、鎌倉時代の正宗・貞宗による相州伝の技法を凝らした刀づくり。しかし、目の前にある師匠の刀は、古刀と見分けがつかないほどの出来栄えだった。その完成度に、言葉を失うほどの衝撃を受けたという。
「昔の国宝を目指す前に、まず一番近くにいる師匠の技術と作風に追いつくことを目標にしなければ」。それまで遠くにある“古い名刀”を目標としていた吉本さんの視線が、身近にいる師匠へと変わった瞬間だった。
吉本さんが入門した月山伝の大きな特徴の一つが、刀の地肌に規則正しい波模様が現れる「綾杉肌(あやすぎはだ)」。鍛錬を重ねるなかで自然と現れるこの特徴もまた、月山伝を受け継ぐ刀鍛冶としての証になる。
「200年、300年先の鑑定家が見たときに、月山一門で学んだ徳島の吉本作だ、と分かるようなものを残したい」。そんな思いを胸に、5年間の修業を経て文化庁の作刀許可試験に合格。その後コンクールに出品した日本刀は入選、新人賞の両方を受賞した。最終的には10年間、月山一門の下で技術を磨き続けた。

▲第11回新作日本刀 研磨外装 刀職技術展覧会 銅賞第1席・新人賞
佐那河内村での独立と現在

独立を決めてから、土地探しには1年半を費やした。さまざまな自治体の空き家バンクに登録するなかで出会ったのが、佐那河内村だった。決め手となったのは、村役場や移住交流支援センターが親身になって相談に乗ってくれたこと。「ここでやっていこう」と思えるほど熱心に受け入れてくれたことが大きかったという。
道場は令和7(2025)年5月頃から着工し、完成したのは令和8(2026)年6月。現在は、この場所を拠点に刀鍛冶としての活動を続けている。刀の注文はまだ多くはないため、村の農家などの手伝いをしながら生活している。近所の人から段ボールいっぱいのピーマンやナスなどをおすそ分けしてもらったり、お茶に誘われたり。村の人々の温かさに支えられていると、うれしそうに話す。
そんな村への恩返しとして、現在制作・開発を進めているのが、地元の山で害獣駆除を行う猟師から仕入れたシカの角をハンドルに使った、ブッシュクラフト用ナイフ。
「これからはコンクールに向けた日本刀の制作を続けつつ、注文を受けられるようになりたいです。そして将来は、地元の子どもたちなどに道場を見学してもらい、伝統工芸や刀鍛冶の仕事を伝える啓発活動を行いたいと考えています」と優しい笑顔を見せた。


