祖父の営みを受け継ぐ、29歳のいちご農家

公開日 2025年12月25日

西條智哉さん

佐那河内村平地集会所(上字我楽)で[さくらももいちご]を育てる西條さんは29歳。21戸の生産者で構成される「佐那河内ももいちご部会」の最年少である。祖父が長年続けてきたいちご農家を継ぎたいという思いから転職し、幼少期に育った故郷へ戻った。いちご農家として4年目を迎えた今、日々の暮らしや農業に向き合う思いを聞いた。

これまでと、帰郷のきっかけ

西條さんは、保育所に通う頃までは両親の地元である佐那河内で過ごし、その後は小松島市で暮らした。高校卒業後は自衛隊員として高知県に勤務し、約7年間勤めたのち佐那河内に戻ってきた。

帰郷のきっかけは、祖父が続けてきた[さくらももいちご]の栽培を高齢を理由にやめようと考えていると知ったことだった。「せっかく良いものを作っているのに、やめてしまうのはもったいない」。農業経験は全くなかったものの、家業を継ぐ決意を固めた。

 

祖父から学んだいちごづくり

就農したのは26歳のとき。1年目は祖父から直接いちごづくりを学んだ。「祖父は、言葉で細かく教えるよりも背中を見て学べ、という職人気質の人でした。見て分からないところは聞きながら、がむしゃらに知識を叩き込んだ一年でした」と振り返る。

2年目の途中からは、作業の主体が西條さんへと移っていく。「祖父から学んだことを土台に、自分なりの工夫も加えています。失敗も多いですが、すべてが勉強で、面白いですね」と微笑む。たとえば冬の短い日照時間を補う夜間の電照栽培。祖父の代では電球の点灯間隔が15分単位で調節できるものを使っていたが、1分単位で制御できるものへ変更。光の与え方をより細かく管理することで、いちごの成長をより精密にコントロールできるよう改良を重ねてきた。
 

“いちご中心”の生活

2025年で4年目を迎える現在は、いちごに向き合う毎日を妻と二人三脚で送っている。3月には収穫作業と並行して親株の植え付けを行い、苗作りが始まる。5月まで続く収穫が終わると次のシーズンに向けてハウスの片付け、太陽熱消毒に取りかかる。土の上にビニールをかぶせ、太陽の熱で土中の菌を死滅させる重要な工程だ。

9月には育てた苗をハウス内の土に定植し、摘花や芽かきを行う。余分な脇芽を取り除くことで栄養を一つの実に集中させ、[さくらももいちご]の特徴でもある大きく甘い実へと育てていく。

収穫は11月末から始まる。朝6時頃からいちごを摘み取り、化粧箱やパックに丁寧に詰めていく。午後は佐那河内村鯉ノ内地域にある集荷場で部会の仲間と合流し、出荷前の品質管理と発送作業を行う。荷造りを終えたいちごはトラックに積み込まれ、大阪府へと運ばれていくとのこと。
 

いちごづくりの面白さ

ハウスの中でいちごを見つめる西條さんの眼差しは、優しく穏やか。農業の魅力について尋ねると、「一番の良さは、自由なところだと思います」と話す。

「前職では決められた内容を実行する仕事でしたが、農業は自分で一日の段取りや次に何をするかを決められる。考えながら作業を進められる点が面白いですね」と、目を細める。

また、頑張った分だけいちごが応えてくれるのも大きな魅力だという。手入れを怠ることもできなくはないが、摘花や芽かきといった作業を丁寧に重ねることで、栄養はしっかりと実に集中し、より良い果実が育つ。その成果が目に見えて返ってくることが、何よりのやりがいにつながっている。
 

未来への思い

部会で最年少の西條さんは「来年が楽しみです」と語る。佐那河内村が募集する、新規就農前の研修生や地域おこし協力隊として活動する「佐那のいちご塾」に、自分より年下の男性が入ってくるかもしれないと聞いたからだ。
「いま頼りっぱなしの先輩方とも、ずっと一緒にいちご作りができるわけではありません。続けていくためには、次の世代の力が必要だと思っています」と真っ直ぐな言葉が印象的だった。

西條さんのように、いちごを愛し、その価値を未来へつないでいこうとする若者が増えていくこと。[さくらももいちご]がこれからも長く食べられ、愛され続けることを、心から願いたい。