公開日 2025年07月11日
出口昇さん
2019年に佐那河内村に移住し、現在は上府能で古民家を改修し宿を営む出口さん。佐那河内村に息づく「結い」という、農村社会に古くから伝わる助け合いの精神に感銘を受け、古民家再生のためのプロジェクト「結プロジェクト」を発足した。前職の宿泊・飲食業などで日本各地を飛び回ってきた出口さんは、なぜこの地を選び、村民として佐那河内に深く根ざし営みを続けるのか。出口さんから見る佐那河内の魅力や、今後の展望について話を聞いた。
佐那河内村との出会い
佐那河内村を知ったきっかけは『いせや農場』(鳴門市)新規立ち上げの仕事。フリーランスで宿泊や飲食、指定管理の分野で施設の改修やオペレーションの整備、人事・スタッフ育成などに携わっており、同店の佐那河内村特産品コーナーを作るというのがはじまりだった。その際に出会ったのが役場に勤める松山さん。佐那河内村のスポットや人をたくさん紹介してくれたという。
「松山さんが見せてくれた佐那河内村の景観は、僕が生まれ育った広島市安佐北区とそっくりでした。谷の作りとか、川の大きさとか。驚きと一目惚れの記憶が鮮明に残っています」。
その後は、特産品を受け取りに、週に一度は佐那河内に通う生活が続いた。
「結プロジェクト」の立ち上げと永住の決断
ある日、松山さんから地域おこし協力隊の女性と女性が住んでいた物件(後の『旧高木邸』)を紹介された。棚田に囲まれ、佐那河内が一望できる府能地区にある古民家は築130年。蔵が2つあり、農地改革前までは村中の人がここに年貢を納めに来ていたという。女性は農業体験宿泊をしようと考えていたそうで、出口さんは相談役として現地を訪れた。出口さんは、この古民家にまたもや一目惚れ。住む場所を探していたこともあり、女性の結婚に伴い物件が空いたと知ると、具体的な活用方法が決まっていないにも関わらず即座に契約を交わした。
「佐那河内に移住ではなく永住を選んだのは、一目惚れには違いないんだけど、徳島県最後の村っていうのが素敵だと思ったし、吸収合併されていない村って、みんなで村を守りたいという意識があったからこそのこと。永住っていうのは故郷であって、仕事で県外に行っていてもここに帰ってきたいと思えたから永住になったってことじゃないかな」とほほ笑む。
『いせや農場』での2年間の仕事が終わった2021年、出口さんは古民家の改修を少しずつ始め、長年携わってきた“宿”の経営に挑戦した。蔵から出てきたタンスをシンクに再利用したり、近隣住民から提供されたミシンをディスプレイするなど、古民家の趣を活かしながらも機能的な工夫を凝らた。現在はペットと一緒に宿泊できる3棟の宿『千年の宿』を経営し、県外客や外国人観光客に人気を博している。宿泊予約サイト[Booking.com]ではアワードを4回受賞し、評価は10段階中9.1点という高い水準を維持。[じゃらんnet]でも5段階中4.9点という高評価を受けている。「スタッフが頑張ってくれてるから、ついつい自慢しちゃうんだけど」と顔をほころばせる。
早朝から外国人が宿周辺を散歩したり、近くの『若宮神社』にお参りに行ったりする様子も日常の光景となっている。地元の人が宿泊客に野菜をお裾分けするなど、温かい交流も生まれているそう。
宿は全体で合計3組、約20名の宿泊が可能で、バーベキューや花火も楽しめる。犬と一緒に宿泊できるのが特徴で、大型犬と小型犬で分けられたドッグランも棚田に整備。雨の日や暑い日でも犬が遊べる室内ドッグランも現在建設中で、2025年7月にオープン予定だ。
現在は香川県宇多津町に結プロジェクトの2号店となる蔵宿を2025年7月にオープンする予定。今後は愛媛、高知と四国4県に進出し、その後は中国地方も視野に入れているという。
「佐那河内が結プロジェクトの本店であり起点となる場所であることが一番うれしいこと」と話す。
地域との深い関わり
佐那河内での生活において、最も大切にしているのが地域の人との関係性。
「近所の人とお酒を酌み交わして語らうひとときがとっても楽しい。常会の参加や草刈りとか、村の人たちと同じ生活ができているのがうれしい。去年は、コロナ禍で中止が続いていた朝宮神社の祭りにも参加させてもらった。神輿を担いだときは胸が熱くなりました」と語る。
なかでも距離を縮める大きなきっかけとなったのは、佐那河内中学校の授業の一貫で行われた“ふるさと学習”の受け入れだそう。ランチタイムに食事と喫茶を提供する『お食事処 ゆいね』の定番メニュー「さなごうち揚げ」はふるさと学習の受け入れ初年度に中学生と考案したメニューである。
「もう発表会の時は感動して泣いちゃったからね。それから中学生が家族を連れてランチを食べに来てくれることが増えて、交流も深まったと感じています」。
宿を通じて地域とつながる
出口さんの言葉の一つひとつからは、佐那河内への深い愛情と敬意が感じられる。単なる事業家ではなく、地域の文化や生活に溶け込みながら、その魅力を国内外に伝え、持続可能な地域活性化を目指している。
「大げさなことではなく、佐那河内の良さが分かるような旅行プランを作らないといけない。地元の人が山桜を見る場所とか子どもが川遊びをする風景とか。日常の中にある魅力を体感してもらうことが大事。ここに来た外国人を『天岩戸別神社』に車で案内することもあるんだけど、そういうことが求められてると思う。佐那河内の人の日常の生活を体感させるっていう旅行プランに勝るものはないからね。唯一地域のお役に立てることとすれば宿を通じた貢献だと思っています」。