佐那河内の暮らしを支えて60年 受け継がれる想いと技術

公開日 2025年06月27日

松下秀治さん・弘典さん

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佐那河内とともに走る60年

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『松下自動車』は、2026年に創業60周年を迎える。佐那河内村には現在4つの自動車修理工場があるが、最も歴史が長いのが同社。創業は昭和41(1966)年。佐那河内村の農業の発展に伴い、車が普及した当時から現在に至るまで、親子二代にわたり村の暮らしと移動を支えてきた軌跡をうかがった。

 

「佐那河内で修理屋をしてくれ」の一声から誕生

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創業者の松下秀治さんは徳島市国府町出身。徳島市内で修理工として働いていた。1960年代、佐那河内村ではみかん栽培が盛んになり、農業用貨物車の需要が高まっていた時代。村内には自動車修理工場がなく、村内の常連さんも多かったという。
「ある日、常連さんに『世話してやるけん佐那河内で修理屋をしてくれ』と声をかけられたんがはじまりよ。21歳のときやったな。あの頃は車がどんどん増えよったけん、これはいけると思った」と、秀治さんは笑う。佐那河内は徳島市内に勤めていた際に修理で何度か足を運んだことがあった程度だそうだが、おおらかで人懐っこい秀治さんは、村の人たちにもすぐに受け入れられ地域に自然と溶け込んでいった。
工場の場所は、かつてのみかんの選果場。大阪から中古車を仕入れて整備・販売も行っていたという。

 

出張修理で長く楽しい一日
当時の修理業は、今とは違い、出張修理が多かったそう。
「当時は道路も悪く、走行中によく故障があった。地理がよくわからず下方面に行くのに上方面に向かったりしたこともあったなぁ。毎晩夜中まで仕事して休みは正月の3日とお盆の3日だけ。こんな生活が20年くらい続いた。でも車を直すのが好きやったけん、楽しかったわ。修理の合間に、みんなとグダグダしゃべいよった時間も、よう覚えとる」と、当時の様子を懐かしそうに語ってくれた。

 

息子・弘典さんが受け継ぐ想い

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二代目の弘典さんが家業を意識し始めたのは、大学3年生の頃。長年続けていた野球をするという選択肢や迷いもあったものの、「いつも父の姿を間近で見ていたし、会社勤めよりはええかな」という想いから継ぐことを決意した。大学卒業後は専門学校へ進学し、「トヨタカローラ」や「ダイハツ」で約14年間、修理・板金・塗装などの技術を学んだ。その後、松下自動車にて修理の仕事に従事。当時はディーラー仕込みのやり方と、父・秀治さんの職人気質な手法の違いでぶつかることもあったという。それでもお互いを尊重し合うことで、信頼を寄せ合うパートナーに。従業員とも力を合わせ、村内外からの修理や車検依頼に対応している。
「親父から『継いでくれ』とは言われたことなかったけど、気づけば自然とこの道に来てました」。

 

地域に根ざしてこれからも

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令和2年、松下自動車は弘典さんへ代替わり。創業から55年という節目での継承だった。秀治さんは「息子が継いでくれて、本当にありがたい」と優しく微笑む。昔も今も、松下自動車はただの修理屋ではなく、地域の人々にとって“困ったときに頼れる場所”。事務所には今もお客さんやご近所さんが立ち寄り、世間話に花が咲く。


地域とともに歩んできた60年。これからも、松下自動車は親子で佐那河内の暮らしを支え続けてくれることでしょう。

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