日本拳法を通して村に恩返しをしたい

公開日 2023年07月25日

橘さん

橘只行さん

柔道と空手の要素を併せ持つ日本拳法の達人

日本拳法という格闘技をご存知だろうか。名前は聞いたことがあるけれど、オリンピック種目になっている柔道や空手のように絵が浮かぶ人は少ないかもしれない。日本拳法は防具(面、胴、股当、グローブ)を着装し、投げ技、寝技、打撃など、さまざまな技術を駆使して勝負を競い合う。言うなれば、柔道と空手の要素を併せもつ総合格闘技だ。技の激しさにもかかわらず、防具を着装することで安全に楽しめることが大きな特徴と言える。

今回ご紹介する橘只行さんは、日本拳法歴40年以上の達人。村内に「緑風館」という道場を立ち上げ、代表として長年後進の育成に努めてきた人格者だ。大会を控えた練習日に「緑風館」を訪ね、橘さんに日本拳法の魅力や、これからの夢について話を聴いた。

 

さまざまな格闘技を経験し、たどり着いた日本拳法

橘さんは美馬市穴吹町の出身。20歳の時、佐那河内村出身の妻との結婚を機に村での生活がはじまった。現在73歳になるが、高校卒業から72歳まで仏壇をはじめとする木工家具の製造会社で約50年勤務。職人としてはもちろん、工場長兼課長として多くの功績を残して2022年に退職した。そんな橘さんが格闘技に目覚めたのは、中学生のときだった。

「同じ穴吹町出身のレスリング選手・桜間幸次さんが東京オリンピックで活躍している姿を見て憧れてね。それを機にレスリング、相撲、柔道などいろんな格闘技をするようになりました。」

日本拳法は、就職をしてから趣味としてはじめた。これまで培ったさまざまな格闘技の技術を活かせるとあって、橘さんはどんどんのめりこんでいったという。仕事が終わると徳島市内の道場で練習に励み、技を磨いてきた橘さん。今では五段の有段者として、ハツラツとした姿で、今まで培った技術や経験を活かし、子どもたちに指導をしている。

 

 

ボランティアで指導者をするというこだわり

橘さんが村内に道場を立ち上げたのは今から20年以上前になる。「緑風館」と名付けたのは、緑豊かな大川原から吹き下ろしてくる風をイメージした佐那河内にふさわしい名だと思ったからだ。立ち上げた当初から現在まで、橘さんはボランティアで指導者として携わっていることに驚かされる。

「県下に日本拳法の道場はいくつかありますが、ボランティアでしているのは唯一私だけです。道場をはじめるときから、お金をいただくつもりは全くありませんでした。長年暮らしている第二の故郷である佐那河内に恩返しがしたい。日本拳法を通してみなさんによろこんでもらえることがしたいというのが私の考えなんです。」

 

村内には教え子が多数おり、現在は小学生・中学生を中心に、下は3歳から上は40代まで約20人の生徒が週2回「緑風館」で汗を流している。「緑風館」の副館長として指導をしている岩井亮輔さんは、橘さんの自慢の教え子の一人だ。「おかやま国体」や「日本拳法四国総合選手権大会」で優勝するなど、華々しい結果を残している。他にも、橘さんの熱心な指導もあって、大会で結果を残す選手を多数輩出。全日本3位の成績を残している選手が3人おり、橘さんの指導者としての実力を物語る。もちろん結果も大事だが、日本憲法は練習の過程にさまざまな学びがあると橘さんは語る。

「礼儀作法が身についたり、“礼に始まり、礼に終わる”武道の精神に触れることで、お互いを尊重し、敬意を示すことの大切さを学ぶことができる。痛みを知ることは、相手を思いやることにもつながります。」

 

「緑風館」のバトンを次の世代へつなぐ

「大学進学で県外に出ている教え子が久しぶりに佐那河内に帰ってきたときに顔を見せに来てくれるんがうれしいてなぁ」と橘さん。教え子たちから今も慕われているのは、橘さんがまっすぐな思いで子どもたちに接してきたからだ。

「緑風館」には副館長の岩井さんをはじめ、館長の元木修司さんといった、橘さんの思いに共感する教え子が指導者として脇を固めている。自身の思いを引き継いでくれる人に近い将来「緑風館」のバトンを渡したいと考えている橘さんの準備は万全だ。

「私が指導者として関わっているうちに、全日本優勝の選手を出すことが今の夢かな。もう一つは、教え子たちが県外の大学へ進学をしても、徳島へ帰ってきて就職をしてくれるのが願いです。」

 

中)代表 橘只行(五段)

右)館長 元木修司(参段)

左)副館長 岩井亮輔(四段)