児童達を温かく見守る学童保育

公開日 2021年11月30日

更新日 2021年12月02日

尾山恵子さん、坂田弥生さん

学童保育スタッフ

 

小中一貫校の佐那河内村

佐那河内村にある学校はひとつだけ。小学校から中学校までの9年間を通してカリキュラムが組まれ、学びを深めている小中一貫校です。木材がふんだんに使われ、中庭から明るい光の差し込む校舎と、最新のI C T機器が揃えられるなど整った環境の中、児童達は伸び伸びと育っています。一学年10人前後の小規模校だから、一人ひとりに目が行き届き、同学年だけでなく縦のつながりもあるのも大きな利点です。小学1年生から6年生までを6つの班に分けた「しゃくなげ団」で月に一度は遊び、月に一度は清掃活動をしています。高学年の児童が下級生に声をかけるなど、優しさが見られる場面に何度も遭遇します。また、地域との交流や社会活動も盛んで、村内のおじいちゃんおばあちゃんが学校を訪れ、昔の話をしてくれたり、野菜作りを教えてくれたり、様々な施設に見学に出かけたり、多様な体験ができるのも小規模校ゆえ小回りが効くからです。

そして、児童同志はもちろん、保護者同志もほとんどが顔見知りなので、どこのなんて名前の子か大体わかるから、会えば声をかけ合う事が当然のように行われています。ゆるい繋がりの中で子ども達は見守られ、佐那河内村という「地域」の中で育っています。

 

地域と学校の中間で

 

学童保育外観

そんな地域と学校の中間で、優しく時には厳しく、児童達を見守ってくれているのが、「佐那河内学童保育クラブ」です。保護者の仕事などの理由で保育が必要な児童の居場所として運営されており、小学校全校生徒の半数近い約40人の児童が、放課後や夏休みなどをここで過ごしています。グラウンドを挟んで校舎の反対側にある建物は、木造で天井は高く、前面は大きいガラス窓、グラウンドと校舎を見通せる明るい造りになっています。広い軒下は、雨の日は遊びの場に、晴れの日は日除けになってくれます。放課後の始まりと同時に、どどどーっと帰ってくる児童達。まずは宿題を終わらせ、お迎えが来るまではそれぞれ好きに遊びます。室内でブロック遊びをしたり、本を読んだり、グランドでサッカーしたり、縄跳びしたり、バレーボールしたり、泥団子を作ったり、鉄棒で逆上がりの練習をしたり、色んな遊びができるように整えられています。そんな学童保育のスタッフは、かつては自分の子どもが佐那河内の学校に通っていたお母さんO Bの方々がほとんど。児童の様子に目を配り、気を配り、時には保護者の愚痴や悩みにも心寄せてくれるのです。仕事帰りの保護者は、ここで子どもの様子を見たり聞いたりしながら、学校帰りの子どもとほっと一息つき、さぁ次は家事を頑張るぞと元気をもらって家路につきます。

 

始まりからずっと

尾山恵子さん

佐那河内村の学童保育の始まりは、2002年9月のこと。当時、学童に通っていた児童は、小学1年生の4人でした。この児童4人の保護者達の発案に応える形で始まったのです。最初は、小学校とは国道を挟んで斜向かいに建つ農業振興センターの一室からでした。それから今まで20年近く、ずっとスタッフとして児童達を見守ってきたのが尾山恵子さん。子ども達からは「おやまっち」と呼ばれ親しまれています。今でこそ学童のための建物がありますが、2011年の小学校校舎建て替えに伴い、学童の建物も建設されるまでは、農振センターの一室の後、校舎内の一室で、学校から徒歩15分程度の場所にある中央運動公園の管理棟で、学童を行ってきました。「社会に出て困らんようにしてあげたい」と語る尾山さんは、近所のおばちゃんの感覚で児童に接するようにしています。いけないことはいけないと、ちゃんと児童達に伝えるのです。「聞く、聞かんはその子次第だけど、ちょっとは残っているはず。大人になった時に、思い出してくれればいい。」という尾山さんは、児童達の今だけでなく将来までも考えてくれています。親や親戚以外に将来のことまで考えてくれる大人がいるという環境の、なんと温かいことでしょう。

 

根っからの子ども好き

坂田弥生さん

現在、学童の運営を主に担っているのが、坂田弥生さん。児童からも保護者からも「やいちゃん」と呼ばれている坂田さんは、根っからの子ども好き。今では28歳と25歳になる自身の子育てを、本当に楽しかったと振り返ります。そんな風に自身の子育てを振り返れる保護者がどれだけいるでしょうか。子どもが保育所に通い始めるまでは、毎日のようにおにぎりを持って、海や動物園へ行き、子どもと思い切り遊ぶ日々を送ったそうです。子どもが帰ってきたら「おかえり」と言ってあげられるお母さんになりたかったから、子どもが小学生になってからは、家で子どもの帰りを待ちました。そんな坂田さんの家は学校に近いこともあり、「坂田学童」と呼ばれ、よその子もたくさん「ただいま〜」と言って遊びにきたのだとか。他の子どもも受け入れ、何事も楽しもうという深い懐の持ち主です。じっくり子育てを楽しみ、自分の上の子が小学6年生になった時、前々から誘われていた学童保育のスタッフを始めました。自分の子育ての時と同様、学童でも児童達に囲まれ、いつも楽しそうです。その楽しんでいる姿が、学童保育全体の雰囲気を良くし、児童も保護者もここに来るとリラックスするのだろうと思います。

 

愛を持って向き合う

中山間地域の佐那河内村では、家と家が離れていることが多いため、児童同士が学校以外の場で遊ぶためには、保護者の送り迎えが必要なことがほとんどです。仕事を持っている保護者が多く、必然的に児童同士で遊ぶことは難しくなります。学校でもない自宅でもない隙間の学童は、子ども達にとって大事な時間です。「おやまっち」にも「やいちゃん」にも、その他のスタッフにも、遠慮なしに甘えて、低学年だったら抱っこをせがんだり、しがみついたり、スタッフからしたら体力勝負の仕事です。宿題を見てあげたり、ゲームを一緒にしたり、揉め事の仲裁をしたり、やるべきことも多いはず。だけど、いつでも児童達のことをよく見て、向き合ってくれて、時には指導もしてくれて、本当にありがたい存在です。近所の人の顔さえ知らない、知っている人にもついていってはいけないと指導される都会では失われしまった「地域」のあり方が、佐那河内村にはまだあります。児童達は、自分が社会の中で生きていること、社会に関わって生きていくことを自然に学んでいるのです。