気負わず村ライフを満喫

公開日 2020年08月04日

更新日 2020年08月04日

酒井夫妻

 

一度は村を出て

誤解を恐れずに言う。最初に、酒井貴史さんを見かけた時、「あれ?ここは神戸かな?東京かな?」と思うほど、オシャレさんだった。まさに、雑誌から抜け出てきたようなファッションで、誠に勝手ながら村にいなそうな人だと思った。

 

レスカの眼鏡がお似合いで、コムデギャルソンが好きという貴史さんは、佐那河内村生まれ佐那河内村育ち。子どもの頃は近所に幼馴染の友達がいて、毎日外を走り回ったり、テレビゲームをしたりして、遊んでいたそうだ。佐那河内村というと、田舎のイメージで語られることが多いが、子ども達の日々の過ごし方は町中とさほど変わりない。外で遊ぶこともあるが、テレビゲームもするのだ。大学進学を機に神戸へ出た貴史さんは、卒業後、就職と共に佐那河内村に帰ってきた。神戸ではセレクトショップを回ったり、おしゃれな町並みを歩いたり、元々洋服が好きだったので、楽しかったそうだ。「色んな考えの人に会えたこともよかったです。今、村に住む若者達も、一度出て帰ってくると良いんじゃないかなぁ。」と自身の経験を語る。

 

ファッションと音楽がつないだ縁

 そんな貴史さんが、ファッションで注目していたイギリスのロック・バンド「ベイビーシャンブルズ」をきっかけに、妻の優子さんと親しくなり、結婚するに至った。優子さんは、学生時代は、バンドを組んでギターと歌をやっていた根っからの音楽好きだ。今のお気に入りは、UNCHAIN(アンチェイン)というバンドだと教えてくれた。優子さん自身も、子どもの頃は、田畑に囲まれた場所でザリガニや虫を捕まえて遊んでおり、佐那河内は、懐かしい感じがするそうだ。

 

同居に感謝

夫妻は、結婚と同時に、一旦は徳島市内に居を構えたが、2018年の10月、貴史さんの実家で、貴史さんの両親と一緒に暮らし始めた。優子さんは、「本当に良いお義母さん。よくしていただいて助かっていて、一緒に暮らせてよかったです。」と感謝の言葉を口にする。貴史さんのお母さんは、本当になんでもよくできる方なんだそう。大人になってから虫が苦手になった優子さんだが、佐那河内村に暮らすようになって、「カメムシまでは倒せるようになったけど、ムカデは未だに苦手。お義母さんを頼りにしています。」と笑う。さらに、3人の子宝に恵まれた貴史さんと優子さんの下の子ども2人は、双子なので、お義母さんがいなかったら、子育てできなかったそうだ。本当に羨ましいくらい良い関係が築かれている。

佐那河内村での子育てについては、医療費や保育料に行政の支援があり、何かとお金がかかる子育て世代にはありがたいことが多い。体を動かすことが好きな子どもにとっても、良い環境だ。ちょっとの散歩が遠くまでになるし、高いことろに登ったり、庭で遊んだり、誰にも気兼ねなくできて嬉しい。貴史さんも、走ることが趣味で、休みの日は村内を10~15kmくらい走っている。頭の中が空っぽになってリフレッシュするのだそう。

 

佐那河内の良さとこれから

貴史さんは徳島市に通勤、優子さんも産休、育休を経て、今は徳島市に通勤している。佐那河内村から徳島市への通勤も時間はそんなにかからず、遠さや不便を感じたことはない。むしろ、優子さんは、佐那河内村に住んで、お米や野菜、水のおいしさにびっくりしているそうだ。佐那河内村のお米を食べるようになってから、スーパーで買ったお米をおいしくないと感じるようになったのだとか。家で食べる野菜は、貴史さんの両親が、家庭菜園で作っている。双子の産後は、両親も子育てに忙しく野菜が作れなかったが、近所の方々が野菜をおすそ分けしてくれたおかげで、変わらずおいしい野菜を食べられた。その時、近所づきあいの良さも痛感したそうだ。「佐那河内村は、給食もおいしいと聞いています。小さい頃の食生活は大きくなっても影響するから、本当にありがたいです。」と、夫妻は佐那河内での暮らしを満喫している様子。にこにこ笑顔で、気負いがなく、両親や子育て環境に感謝を述べる姿が印象的だ。

 

野菜がおいしくて、徳島市内から買いにくる人もいる佐那河内村だから、優子さんには、いつかそれを食べられる飲食店など、やれたらいいなと、淡い夢があるらしい。「キャンプ場やアスレチックもあったらいいですよね。」とアイデアが次々に出てくる。これからを担っていく子育て世代の新しいアイデアが実現していくと、佐那河内村のもっと魅力が増すだろう。アイデアいっぱい、元気いっぱいの若い世代に、これから期待大だ。