米作りの物語

公開日 2020年06月12日

更新日 2020年06月26日

日本の命の穀物

※この記事は、外国語指導助手(ALT)として佐那河内村で暮らすカナダ人、べサニー・ジョンソンさんが、外国人の目線で村の人々や文化を取材し、纏めた英文を翻訳したものです。

English Article

 

米は命

米は命 ー 日本の多くの農村風景は、稲作のサイクルに合わせて姿を変えます。数百年もの間、人々は険しい土地も開墾し、田畑を作ってきました。周囲を山林に囲まれた佐那河内村も、山肌に沿って作られた美しい棚田が見られる場所です。私の友人、松長禮子さんの田んぼは、村の中でもひときわ山奥にあります。

禮子さんは、そんな特別な棚田に私を招き、半年にわたりそこでの稲作を見せてくれました。

 

6月 田植え

田んぼへは、禮子さんのお宅から険しい山道を10分ほど車で登って行きます。周りを木々に囲まれた田んぼで、稲の苗を手で1本、1本、植えていきました。禮子さんは伝統的な木枠を使い、稲の苗を正確に植えました。これは禮子さんが私のために見せてくれた昔ながらの方法で、他の多くの米農家と同じように、この田んぼの大部分も、手押し式の田植え機を使って植えられます。機械に比べ、手での田植えは大変そうでしたが、彼女は昔そうしていたように、歌を口ずさみながら楽しそうに作業をしていました。

 

6-10月 手入れ

田んぼに張られた水は、山の水源からパイプで引いたとても澄んだ水です。水源までは、田んぼに行くよりもさらに険しく狭い山道を車で20分ほど、ガタゴト行った場所にありました。禮子さんのご主人は、定期的にこの水源に行き、パイプや周辺の掃除をするそうです。田んぼの方も、生い茂った雑草を刈ったり、電柵を使って野生動物から稲田を守りながら稲の成長を見守る必要があります。

 

11月 稲刈りと乾燥

夏の暑さも遠ざかり、米が十分に実った頃、私達は稲刈りと乾燥を行いました。現在では効率化のため乾燥機を使うことが多いなか、松長さんは、「はざかけ」と言う伝統的な乾燥法を用います。木の物干し竿を立て、そこに束ねた稲をかけて天日干しにします。機械で乾燥させるよりも、時間がかかるため、稲のでんぷんが米に蓄積されて味が良くなると言われています。天気が良ければ、2週間程で乾燥します。

 

12月 脱穀

2週間後、私達は十分に乾燥された稲束を取り外し、米と藁(わら)を分離する「脱穀」という作業を行いました。昔はこの作業も手で行っていたそうで、機械で簡単に脱穀できる今からは、想像も出来ないほど大変だったに違いありません。

 

もみすり

脱穀されたお米は、「もみ」と呼ばれる厚い外皮で覆われています。その「もみ」をもみすり機という専用の機械で取り除く「もみすり」という作業を行いました。取り除かれたもみは、稲刈り後の田んぼに撒かれ、次のシーズンの肥料となり、循環していきます。

 

1月 お餅で豊作と新年を祝う

禮子さんは棚田で白米に加え、もち米も栽培しています。お餅は、日本のお正月には欠かせない食べ物です。すべての工程が終わったのがちょうど一月だったので、私達はご飯とお餅を作って豊作を祝いました!

 

米作りの文化

近年、佐那河内村を含む田舎では、仕事で都会に移る人々が増えて過疎化が進み、米農家も数をw減らしています。日本にとって、米はただ日常的な食べ物というだけでなく、文化的、歴史的にも重要な作物です。禮子さんは、彼女の家に代々受け継がれてきたこの棚田を、これからも守っていきたいと思っています。稲作は、佐那河内村の水路や土壌の品質を維持しつづけることにより、村の農業全体の流れを保っています。その流れの根底には、禮子さんのように伝統を守りたいという人達が人々の想いがあります。

松長禮子さん