やまね ぎょくほう山根 玉蜂(義雄)先生の紹介

大正13年(1924)9月30日生まれ。佐那河内村上字牛木屋出身。宮前尋常小学校(現・佐那河内小学校)に入学。在校中に梶本実五郎校長に書の指導を受けた。梶本校長は、毎日「一」ばかり書かせ、「『一』こそものの始まりであり、これをおろそかにしてはいけない」と指導したという。その後、8歳で神戸市に転居、後に加古川市に移る。
墨滴会を主宰し、日展内閣総理大臣賞などの受賞歴をもつ広津雲仙(1910-1989)に師事する。自らも玉峰会を主宰し、日展会友、墨滴会顧問、日本書芸院参与を務める傍ら、中国やヨーロッパなどで国際親善に取り組み、日中国交回復15周年記念式典への出席や日中文化交流書道展への出品、さらには毎日展書道パリ芸術祭などにも出展している。読売新聞大賞受賞、日展入選24回、文部大臣賞(第23回全国墨滴展出品作)などを受賞、米国リンカーン記念平和勲章も受けた。
佐那河内村では、小中学校で書道教室を開催したほか、村内各所に設置された記念碑に揮毫するなど、本村に多大な貢献をした。平成22年(2010)7月15日に名誉村民第一号の称号を授与される。
令和3年(2021)7月16日逝去。