移住した人 vol.1

公開日 2020年03月18日

更新日 2020年03月30日

自然体の良さ、島津夫妻

 

いつかは、が急に実現

佐那河内に移住してきて6年目になる島津夫妻。ともに建築家のお二人、以前は徳島市内で暮らしていた。夫の臣志さんは自身の設計事務所を営み、妻の美樹さんは、別の設計事務所で働き、忙しい日々を送っていた。そんな中、臣志さんは、東日本大震災を機に自分の生き方や暮らし方を見つめ直し、いつかは自給自足的な暮らしを、美樹さんは、いつかは田舎に暮らしをしたいと憧れがあった。さらには、自宅と事務所の家賃を二重に支払っていたこともあり、暮らしと仕事が同じ場でできたら、という思いもあった。二人の、いつかは、、、というぼんやりとした思いが急に現実になったのは、臣志さんが以前勤めていた設計事務所が、佐那河内村の空き家調査をしていたからだった。空き家調査のついでに、色んな物件を見せてもらっている内、今の家に出会ったのだ。

 

頼りになった役場や「ねごう再生家」

役場や「ねごう再生家」という地元集落の有志の集まりのサポートにより大家さんとの話もとんとん拍子で進み、家に出会ってからは早かった。実際に空き家の改修に入る前には、「常会」と呼ばれる自治会に出席し、地元の方々も歓迎の雰囲気だったため、本格的に移住へ動き出した。家の改修の際にも、解体や土間作りなど、根郷再生家の方々が力を貸している。2015年春、念願だった自宅兼設計事務所の暮らしが始まった。以来、夫婦二人三脚で設計事務所を営み、子供にも恵まれ、充実した毎日だそう。(2020年現在は、子供が生まれたこともあり、自宅が手狭になったため、事務所は徳島市内に構えている。)

 

 

まちなかと変わらない暮らし方

佐那河内へ移住が決まった際には、自然の中でいっぱい遊ぶぞ!という意気込みもあったが、暮らし方は、まちなかとさほど変わらないそうだ。臣志さんは、早起きして仕事へ。美樹さんは子供を保育所に送り届けて仕事へ。2人とも17時頃には帰宅して、家族の時間を過ごしている。子供との時間はつくりたいが、仕事の時間も充分に取りたい、という臣志さんの希望を叶えるために試行錯誤してたどり着いた暮らし方だそう。両方80点かな、と笑うが、それこそ小さい子どもを育てながら仕事もし、遊びもとは、田舎でもまちなかでも容易ではない。だが、佐那河内は徳島市内への通勤はさほど大変ではないし(だいたい車で30分くらい)、バリバリ仕事をして、時々近くの自然を楽しむ、というライフスタイルができる。

 

 

地域の中で担うこと

まちなかと違うのは、近所の人が子供を見に来てくれたり、散歩中に声をかけてくれたり、おすそ分けをくださったりすることだ。平日は仕事と家事、育児で手いっぱいだが、休日には川で泳いだり、田んぼでおたまじゃくしを触ったり、自然に触れ合う環境がすぐ傍にある。

集落での活動が様々あることもまちなかとの違いだろう。村内には47の常会がある。ほとんどの世帯は、どこかの常会に所属しており、毎月1回の集まりは、連絡事項の伝達や、お互いの近況を話し、交流の場としても役立っている。昨年、常会長を務めた臣志さんは、消防団にも入っている。こちらは、毎月1日に消防用具の点検と地域の見回りをするための集まりだ。みんなでおいしいものを囲み、20代後半から40代までの地域の若者が集まる良い機会にもなっている。他には、草刈りや川掃除等の活動が年に数回あり、みんなで助け合いながら、集落の機能をずっと守ってきた。

 

 

ちょうどよい距離感

島津夫妻の暮らす集落は、消防や草刈りなどの集落の活動に事情があって出席できない場合でも、移住者に限らず、お互い様だからしょうがない、強制しない雰囲気があるという。一方、島津夫妻は自然体で無理なく相手に合わせられる性格だ。集落と島津夫妻が合わさって、助け合えるところは助け合い、尊重し合うところは尊重し、お互いにちょうど良い距離感で無理なく暮らしている。まちなかの気楽さと、田舎の心強さや助け合い、その両方がある所が、佐那河内村の暮らしの良さだと思う。