地域の要 

公開日 2020年03月18日

更新日 2020年03月24日

坂本商店の坂本夫妻

 

地元に根付いたお店

嵯峨川の清らかな流れ。天一神社の静かな佇まい。その脇に建つ坂本商店。お菓子からお酒、調味料まで並んでいる地元に根付いたお店だ。

 

みかんの卸売りから

ガラガラと坂本商店の戸を開けると、店の奥から顔を出してくれるのが、4代目のいつもにこやかな坂本さん。ここは、祖父の常蔵さんが、みかんの卸から始めたお店だ。戦後は、みかんが高く売れ、佐那河内村でも盛んにみかん栽培が行われていた。みかんを木ごと買い、収穫をして卸売していたそうだ。実が多かろうが少なかろうが同じ値段なので、得をすることもあれば損をすることもあったのだとか。当時は人力で二軒屋までみかんを運んだ。二軒屋まで距離は約16km。人力でみかんを運ぶことがどれだけ大変だったか、現代人の私達には想像もできない。せめて想像はできても、全く真似はできない。

 

地域の要として 

みかんの卸は、祖父の時代で終わりにしたが、酒屋としてお店は続いてきた。跡継ぎだった坂本さんの兄は役場に勤めており、店を切り盛りしていた兄の妻が若くして亡くなったことにより、当時東京で働いていた坂本さんが呼び戻され、店を任されることとなった。跡を継いでみて、商売も好かん方ではなかったし、お酒も好かん方ではなかったと言う坂本さん。お店の奥にはカウンターがあり、15年ほど前までは店内でお酒を飲むこともできた。深夜1時や2時まで、近所の人達が集って、よく飲んだそうだ。いつもにこやかな坂本さんの人柄が人を寄せたのだろう。ふらりと行けば常に仲間に会えて、お酒を飲むことができる場所があったということに羨ましさを感じる。こういう場所が地域の要となって、地域を支えてきたのだと思う。朝になれば、個人宅から調味料やお酒の注文が入り、午後に届けたのだとか。なんとタフな働き方だろうか。それだけ、お店を回してきたのに、みんなのおかげだとどこまでも謙虚で低姿勢な坂本さんだ。

 

やれるようにやる

今も8時から20時まで営業しており、近所の高齢者の方が買い物に来たり、子供がおやつを買いに来たりしている。ただ、全国的にそうなように、佐那河内村もだんだんと人口が減り、お客さんは少なくなっている。そんな時も坂本さんは、「時代だからしゃあない。やれるようにやらなしゃあない。」と言いつつ、今お店としてやれることをやり続け「何かええ方向に向いていけたら」と、前を向く。